ここはバックパッカーの聖地と呼ばれ、東南アジアを旅する旅行者達が必ず立ち寄り、また拠点とする地域である。
通りにはバーやカフェ、露店がひしめき合い様々な国の人たちが四六時中行き来している。
しかしよくよく見ると、そのほとんどがバックパッカーのフリをしたニセパッカーである。聖地という響きに憧れてバックパッカーに憧れた人たちが集まっているのだろう・・・
「はい・・・残念ながら僕もそれです・・・」
タイで売られているものには、基本的に値札がついていない。店員の言い値で値段が決まるわけだが、「いくら?」と聞くと初めは高い値段を要求してくるので、すかさずこう返すべきである。
「バカいうな!!」
そう言うと、店員は必ずこう返す。
「じゃあいくらなら買う?」
この後のこちらの発言が値段を決める鍵になる。例えば200バーツのものなら間違っても「180にしてっ」とか言ってはいけない。
店員の思うツボである。
タイではすかさずハニカミながらこう返そう。
「40くらいにしてっ」
店員・・・「バカいうな」
これで初めて同じ土俵の上に立てるのだ、40バーツでは買えなくともラストプライスで手に入れることはできる。
言ってみるものである。
そんなやり取りをしながら、日本の友人におみやげを買い、夜はバーでビールをのみ続けた。
日本に帰る日。
空港へ向かうバスからの景色は、なんだかとても切なく愛おしく思えた。
今回の旅で感じた事は、旅は経験地を上げる半ば強引な手段であるということ。
大げさに言えば、旅とは連続的に続く出会いと未知への挑戦である。
しかし逆に言えば、旅などしなくても経験値を積むことはできる。
日々の生活のマンネリや、先進社会の安定感というぬるま湯の中で時間を過ごすことは簡単だ。しかし、その中で「日々1歩前へ」という挑戦の気持ちを持つ事が出来れば、日々という旅をサバイブする事ができるのではないか。
旅に出る事は素晴らしい事だ。しかしこの日々にこそ本当の旅があることを忘れてはならない。
そう、朝起きて窓を開ければ、誰にでも平等に今日という旅が始まる。
