2009年08月14日

意識的日々

僕達は日々というものを無意識のうちに二つに分類していることにお気づきだろうか?


仕事仕事仕事仕事仕事仕事休み休み・・・数年前の僕の手帳である・・・ 

そう、僕達社会人は日々を大きく分けて仕事と休みの二つに分類しているのだ・・・

更に人は休みの日をオフと呼んだりもする。

なぜこの観念を私達は無意識のうちに作り出しているのだろうか。

それはおそらく仕事が無い日には「休みたい、遊びたい」という我々の願望の現われではないだろうか?

しかし、よくよく考えてみれば、何かを学んだり何かに目標を持つ場合、この「休み」という名の一日を素直に休んでいる場合ではない。

休みは自由に自己投資出来る非常に大切な自由時間である。

数年前、当時明け暮れていたスノーボードとJPCバンドからこの事に気づいた僕は、日々を仕事と休みに分類するのを止め、自由時間と拘束時間に分ける事にした。

そう意識するうちに、休みの日は寝て遊んで飯食って酒飲んでテレビ見て○#%&★して寝るというルーティーンが徐々に変化し、様々な事を意識的に学ぶ時間を少しずつではあるが持つ事ができるようになった。

ドラクエ的に言う「経験値」とは、意思を持たなければすぐに消えてしまう。僧侶がホイミを忘れる事も現実世界では有り得ることだ。



日々の積み重ねは恐ろしくもあり素晴らしくもある。
そして何れにせよ、その選択は各個人に委ねられている。


どちらかというと素晴らしくありたいので、毎日を意識的に生きたいと思います。

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posted by YO-HEY!! at 01:45| 兵庫 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月19日

少年よ大志を抱け

僕は何かを学ぼうとする時、図書館の学習コーナーで勉強に没頭する。

集中力が少ないのか、自分の部屋ではなかなか勉強に没頭できないのに対して、図書館の学習コーナーではみんな集中して勉強しているので、その静まり返った空気に流され自ずと集中力が増すからである。

そして今日も僕は図書館で学問に励む。


どの机の上にも参考書、テキスト、ノート等の資料がひしめき、聞こえてくる音といえばノートに擦れる鉛筆の音と、ページをめくる書物の囁きだけだ。

しかし、そんな静寂ともいえる学びの空気に流されず、背筋を凛と伸ばし、持参したコミックを机上に重ねる一人の少年に目が止まった。

なぜ彼はわざわざ大量のコミックを持参し、学習コーナーという学びのサンクチュアリで漫画を読んでいるのだろうか?

僕は一瞬 「コミックなら家で読めばいいのにっ」と思ってしまったのだが、彼の読んでいた漫画のタイトルを見た刹那その感情は一変した。


「ドラゴン桜・・・」


・・・彼は東大を目指している・・・・・のか?・・・

もしそれが事実なら、ドラゴン桜を読むことは彼が東大受験挑むにあたっての一番の学問かもしれない・・・

そう思えば、彼にとって「ドラゴン桜」はこのサンクチュアリで広げるるにふさわしい書物である。

一見色物に見える彼も、自分の哲学に従い真剣に物事に取り組んでいる。

周りの空気に流されず、凛とした表情で漫画を読む彼の姿はどこか羨ましく、周りの流れを気にしながら勉強しようとする自分の姿が、なにかとても恥ずかしくなった。

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2009年07月10日

とりとめのない・・・こと

昨夜は風が強くてテンションが上がる。

僕は風が好きなのです。


なかなか眠れなかったせいか、今朝カリン塔を登る夢を見ました。

頂上では、「いいとも」風のセットでタモさんとマツコデラックスが対談していたので、すぐ下りました。


午前中はお仕事を、午後は太田君に誘われて近所の海でサーフィンを。しようと思った矢先、波はなし。
貝の乱獲に切り替えようとするも、「ハマグリ捕るな!!」の看板と近所のオッサンが放つ明らかな疑いの眼差しに心が折れる。

結果、太田君とサンダルを船にして2時間くらい遊ぶ。


ちなみに今日、太田君ちの庭に精米所がおいてありました。おっさんが中古で建物ごと庭に購入したご様子。
しかも夜になると看板にライトが点灯するらしい。

自分ちの精米機なのに100円入れないと動かないらしく、これを理由に一般開放しています。

精米がご希望な方は、是非太田君ちの庭まで。

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2009年06月10日

Repeat

先日母方のお爺ちゃんが亡くなった。

打ちあがっては消える花火のリレーのようにこの地上で繋がる命。

死は降り始めた雨がいつかやむように自然な事だけど、不自然なほどに悲しいものだ。

日々の幸せから生まれる憂いや憂いないものをハナレグミの永積タカシは優しい声で歌うけど、そういったものをこの上なく大切に思う6月の日々。

愛する彼女と車の中で「光と影」という曲を聴く。「聞きすぎると飽きる」とか言いつつ50回くらいリピート。
目の前に広がる光と影を全て受け入れる事はとても難しいけど、それが出来る人になりたいと心から思う。

僕にとって前向きに生きるとはそういうことだ。


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2009年06月02日

欠片がいつも辛口なのは僕だけなのだろうか

先日ふと小学校時代の同級生を見かけた。

10年以上の空白と、彼のお腹の出具合に声をかけるのはためらってしまったが、彼の顔を見たことにより昔のの事を沢山思い出した。

僕は、小さい時の記憶がほとんど無い。理由は定かではないが、30歳にもなればこんなものなのかもしれない。

しかし、彼の顔を見ることによって、彼に関する僕の記憶が頭の中に浮かんできた。

人の記憶というものは不思議なものだ、思い出そうと故意的に記憶のぺージをめくっても白紙の場合がほとんどなのだが、何かキッカケを得る事によって、記憶の断片が映像化し、その時の光景、空気感、大好きだったメロディーまでもが蛇口を開いた水道のように一瞬にして溢れて来る。

脳科学的なものなのか、スピリチュアル的なものなのか真実を知るすべは無いが、キッカケで蘇るということは僕らの奥の奥のもう忘れてしまった引き出しの中に記憶の欠片は眠っているのだろう。

まるで引き出しの奥に片付けた年賀状のような存在だ。(捨てるタイミングが30年間わからない・・・)

つたない僕の人生を振り返るにはまだ早いが、ここらで一つ記憶の欠片を探しに旅に出よう。
引き出しを開けるキッカケに、高校生の時大好きだったスチャダラパーの「From喜怒哀楽」を目を閉じて聞いてみた。


・・・・・・・・・・・


自転車で通学中に土砂降りの雨に襲われ、近くの電柱に雷が落ち、あまりの衝撃に土手を転げ落ちて腰が抜けた・・・あの夏・・・

初めて片思いのあの子に愛の告白を試み、2秒後に撃沈して思わず「バルス」と唱えたあの春・・・・(破滅の呪文、飛行石のアクセサリーを本気で首につけていた)

ああ・・・見つけた欠片は実にしょっぱい・・・人は楽しい思い出よりしょっぱい思い出を今に残すのだろうか?

しかし、このようなしょっぱい経験も、今から思い返してみれば微笑ましいものだ。

そう、物事の捉え方は時を経て変化し続けている。それを理解すれば、今目の前に起こるしょっぱい出来事も、案外悪いものではない。

僕が年老いて来た道を振り返る時、そんな日々を懐かしく笑えるように、今この瞬間ベストを尽くしたいものだ。
(こんな事を書いているうちはベストは尽くせていないのだが・・・)

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2009年04月25日

スーパーヒーローは存在する

我が街にスーパーヒーローが現れた。

その自転車には、ダンボールとサランラップで作ったと見られるカウルを付け、自作と思われるスーパーヒーローヘルメットを被り、ケミカルウォッシュのデニムパンツに白い長靴、マフラーを風になびかせ颯爽と走る。

まさにスーパーヒーローだ。

僕は車を運転中に数回ではあるが、そのヒーローを目撃した。

間違ってもカッコいいとは言いづらいその風貌で、町に蔓延る悪を探してパトロールを続ける彼に僕は少し親しみを持った。

そして先日偶然見かけた際、彼は行く手をよけた中学生に「すみません」と会釈をした。

流石。ヒーローたるもの紳士である。

おそらく彼は自分独自の哲学により、自分の信じた道を生きているのであろう。それもスーパーヒーローとして・・・

そして、自分の信じた道がどんな道であっても、勇気を持って行動に移す。

まさに彼はスーパーヒーローではないか。

そんな事を考えていると、僕の頭に世界中で多発するテロ事件がフラッシュバックした。

テロと聞くとやはり「9.11 ニューヨーク同時多発テロ」を思い出す。
地獄絵図のような悲惨な事件であった。

メディアからの情報だけでも身震いがするような事件・・・目の前で体感した人たちや犠牲者の家族の方たちの気持ちは想像を絶するものであろう・・・

貧しい者は泥だらけで叫び続けていた・・・

そして、富める者は口を閉じ目をそらせていた・・・

あの事件を期に、その均衡が解けたような気がする。

もし僕の産まれた場所がここではなくて、泥だらけの世界の中心だとする。
そして、この拳銃を持って立ち上がる事により世界が平和になると信じていたならば、僕はどうするだろうか・・・

勇気を出して、命を懸けて行動する事により家族や子供が平和に暮らせる世界が勝ち取れると信じていたら、僕はどうするだろうか・・・

そう信じていたならば、テロを起こすことはスーパーヒーローになるということになってしまう。

人を殺め平和を勝ち取るといった概念は、間違っても賛成できない。

しかし、「テロ=悪」という偏見にも僕は賛同できない。

そんな事を考えていると、人が生きていく限り規模は違えど争いはなくならないのだと思ってしまう。

正義という概念がなくならない限り、悪という概念もなくならない・・・

その逆もまたしかり・・・

正義と悪は対極である反面、イコールの関係にもある。

人種、国境、宗教・・・お互いがお互いを尊重して、助け合って生きる。

簡単そうで難しいこの個人的な感情が、争いを減らす鍵になるのだと僕は思う。

まずしなければならない事は、僕自信が変わることだ・・・


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2009年04月22日

波間にて

ああ・・・ 今日も押し寄せる・・・

情報という波が僕の頭に押し寄せる・・・

テレビ、新聞、人の声、ゴシップ、インターネット、その他諸々の情報の波に僕は今日も揺られている。

その情報の中で人は、お金と物と小手先の技術に依存して、自尊心を膨らませる。

勿論、僕を含めての話。

情報の波に揺られすぎる事で、僕は方向を見失う。

右も左も、東も西もなくなって、文字と言葉と残像の中を右往左往・・・

知らぬ間に自分自身も見失って、それにも気づかず揺ら揺らと流れ続ける。

多すぎる情報全てにアンテナを立てていては、この波に飲まれてしまう。

しかし僕達は、この現代社会を生き抜くために、この情報の波を避けることは皆無。

避けられるとしたら、木の上で数十年生活をしている外国のオジサン(以前テレビで見た。本当の意味でオノボリさん)のようになるか。
無人島で生活する日本のオジサン(これもテレビで見た、全裸モザイクあり。親戚から月1万円の仕送りを貰っている。自分の身内ならクソジジイと呼びたい)のようになるしかない。

しかし、波間を見つけることで僕は我をなんとか保とうと葛藤する。

波間とは、情報と自分を定期的に切り離す事だ。

目と耳を閉じ、五感を忘れる。深い腹式呼吸・・・精神の旅

自尊心を捨て、ただ流れる水になる。

たどり着くのはノイズのない海、お金も物も小手先の技術もなく、あるのはただ「在り方」だけだ。

波寄せて我を忘れ、波間にて我を思い出す。

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ああ・・・もう僕は「出会い系迷惑メール」という情報の波に飲まれてしまいそうだ・・・

怪しい業者の皆さん・・・写真付きは反則です・・・








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2009年04月07日

暖かく

最近暖かくて気持ちがいい。

久しぶりにカメラを持って歩いてみた。

この世界が自分を写す鏡なら、印画紙に焼き付いた光景は自分の心を写し出しているのかもしれない。

かもしれない・・・

僕はこの「かもしれない」という言葉がわりと・・・ だいぶ・・・ いや相当好きだ。

現代人は、確実なものを追い求める傾向にあるが、確実なものなどこの世の中にあるだろうか?

今、目に見えるこの光景意外に確実なものなどどこにもないような気がする。

全ての人たちの未来が曖昧であり不確定なこの世の中で、今確かな事といえば、春の温かい風が心地いいということだ。

今ここに吹く風や気配を感じる事が、幸せへの近道なの・・・

かもしれない・・・

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2009年03月08日

生きているということ

「死ぬ!!」と本気で感じた経験はあるだろうか?

僕の答えは「YES」である。


数秒後におそらく訪れる死を待つあの感覚・・・

生きる事に執着する暇も無く一瞬で生を100%諦めるあの感覚・・・




吐きそうになるのであまり思い出したくないが、忘れないでいようと思う。

あの瞬間以来、僕の世界に対する見解が少し変化した。

目に見える当たり前の景色が当たり前ではなくなった様な気がする。

僕が今この世界に生きている事は、決して当たり前なことではなく、どちらかと言えば不自然にさえ感じる。

仏教やスピリチュアルの教師が教える「全てに感謝しなさい」という教えも、頭では分かっていても実践するのはなかなか難しいのが本音・・・

しかし、死のリアリティーに少し触れる事で、今この瞬間この世界に生きている事に対して、この上ない感謝を感じるようになった。

笑うこと、悲しむこと、苦しむこと、楽しむこと、見ること、聞くこと、喋ること、食べること、怒ること、好きな人がいること、嫌いな人がいること・・・etc

そして全ては「今この瞬間、生きているということ・・・」

僅か30年の僕のつたない人生を振り返ると、生きることに不必要な付加価値に幸せを追い求めすぎていたような気がする。

長年培ったその感覚は、今後も完全に断ち切る事は出来ないだろうし、断ち切る予定も特にない。


しかし、これだけは忘れずにいよう。


「この上ない幸せは、今ここにある。」

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僕の親友と親友が最近結婚しました。ホントにあめでとう^−^























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2009年02月16日

もうエコなんてしないなんて言わないよ絶対

エコっぽい物が増えている。

・・・・・・・

例えばある人がエコを売りにした商品を買うとする。

商品を買った人は、結果的に消費者となる。

ん・・・?

・・・・・んん???

何かがおかしい・・・

地球温暖化をはじめとする数多の環境破壊の原因は、紛れもなく我々人間のエネルギー消費型ライフスタイルがもたらした結果である。

その結果
消費=CO2排出=温暖化=環境破壊という方程式が成立する。

しかし、エコがビジネス化した現状では、ECO=消費の方程式が成り立っているような気がしてならない。



ECO=消費=CO2排出=温暖化=環境破壊

これはマズイ・・・

なんだか難しいけど、エコっぽい物を買うなら、今持っているものを大切に長く使うことの方がエコっぽいような気がする。


家に転がっているビニール袋は、エコバックよりはるかにエコっぽい。

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追伸・・・ くまだまさしの芸は世界に通用すると思います。










posted by YO-HEY!! at 01:29| 兵庫 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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